U.G.バイオグラフィ
生まれ | 今でもはっきり覚えている… あれはイリノイ州シカゴにあるうらぶれたBarだった。マミーが俺を産み落とした時、俺はまだ目は見えちゃいなかったが、 確かこう言った「ヘイ!マミー!なんてことをしてくれたんだ!」ってさ |
幼稚園 | マミーが俺にいつも歌ってくれたのは エルモア・ジェイムスの「It Hurts Me Too」だった。俺はまだ歩くこともできなかったけど、 彼の魂に乗ってブルースの世界を散歩したもんさ・・・ |
小学校 | あの頃はいつもジャガイモをむいていたっけな、 「いったいいくつ剥いたか?」って? 考えるだけでもゾッとするぜ。 きっと俺が剥いたジャガイモを積み上げたら、 月まで行けるんじゃないか? |
中学校 | 俺は旅に出たんだ。ある日急に、 「ここにいちゃーいけない。誰かが俺を待ってくれている」 そんな気がしてさ、貨物列車に乗り込んで、気がついたら太平洋の真ん中さ! |
高校 | 船に揺られるままジャパンに着いた。 驚いたぜ!ジャパンなんて”芸者”と”忍者”が暇さえあればブッタをリスペクトしてるって思ってたけどな・・・ 「結構ブルースなんだな」それが俺のジャパンへのファースト・インプレッションさ! |
大学 | とにかく日本を歩いたよ “Atami” “Beepu” “Kinosaki” “Arima” どこに行っても湯煙が立っていたっけな・・・ |
社会 | 俺は俺さ、色々あったが昔は昔! 「Life Gose On」今の俺を知りたければ、 土曜の夜にMBSラジオを聴いてくれ! |